基礎理論―気の思想
東洋医学は「気の思想」でもあります。
「この世のものは全て“気”でできている」と考えます。
という話を、『整体観』のところで書きましたが、では『気』とは何でしょうか?
…という話をすると、延々と討論していられるような題材になってしまうので、ここでは「こうイメージしておくと、東洋医学を理解しやすいよ、健康に過ごせるよ」ということをポイントに置いてまとめていきたいと思います。
この『気』という字は、本来は『氣』と書いていました。
これは、東洋人の主食であるお米をかまどでぐつぐつ焚いて、そこから上る湯気をイメージした漢字です。
日本に「気の思想」が導入されたのは、中国から文字がもたらされてからです。
「気が利く」「気心が知れない」「気位が高い」「雰囲気」「気味が悪い」…と、“気”に関する言葉はたくさんあります。
日本では、情緒的、雰囲気的なものに「気」という言葉を使いますが、中国での「気の思想」は「陰陽思想」とともに春秋戦国時代の厳しい現実を生き抜くための方法論でもあり、実態を伴ったものでした。
天地万物の生成は「気」が生まれたことにより始まります。
宇宙が始まった頃、まだ形もなく、混沌とした広がりがあるのみでした。
その混沌とした広がりの中から気が生じます。
気が分化し、清くて軽いものは陽気に、重くて濁ったものは陰気に分かれます。
陽気は昇って天となり、陰気は下って地となります。
天の気と地の気、陰陽2つの気から四季が生じ、さらにそれによって人や物などを含む万物が生じました。
つまり、気とは、空気や雰囲気のような目に見えないものだけでなく、人や物、土など目に見えるものも、気の集まりによってできているものなのです。
古代の中国人は、万物は“気”から成り立ち、一切は“気”の働きに帰す。その極微にして根源的なものを“気”と呼びました。
石が石としてそこにあるのは、石の気が集まったから。
山が山としてそこにあるのは、山の気が集まったから。
昼夜が巡り、四季が移ろうのは、昼夜の気、四季の気が働いているからなのです。
これらは、中国の思想である道家と儒家で説かれる概念であり、そこでは“気”のことを“道”という言い方をしています。
では、人の生命の生成と活動についてはどうでしょうか。
母から陰の精気、父から精気を受けて、これが合わさって1つの生命が始まります。
この世にオギャーと生まれ落ちると、天の陽気(空気)と地の陰気(飲食物)を取り入れて生命活動を維持します。
体内の気が調和していれば健康であり、不調和になると病気になり、気が散逸してしまうと死んでしまいます。
荘子は「人の生は気の聚(あつ)まれるなり。聚まれば則ち生と為り、散ずれば則ち死と為る」、人は気の集まりで、散ってしまうと死んでしまうと死生観を説いています。
気の集まりであるボディを陰の気とすると、そのボディを動かすためのエネルギーは陽の気とお考えください。
気を作り出すシステムについては、気血津液の説明をする時に行いたいと思います。
その時にかまどでご飯を炊くイメージが必要になります。
例えば、ここに電池で動くおもちゃがあったとします。
プラレールでもイメージしていただけるとよいかと思います。
動いている新幹線でもトーマスでも、その形を成しているものも気の集まりなのです。
気が集まって、小さな新幹線の形をしたり、トーマスの形を作っているのです。
でも、それだけでは動けません。これを陰の気と考えてください。
そこに、電池を入れると、レールの上を走る、という動きができます。
これは電池から出る電気エネルギーによって動かされているのです。これは陽の気と考えてください。
エネルギーだけあって、新幹線やトーマスがなくても、レールの上を走ることはできません。
“気”と聞くとついつい、エネルギー的なものをイメージしたくなりますが、こうしてみるとどちらも気でできていて、気によって動かされているのです。
陰の気が集まってできた入れものに、陽気が加わることで、プラレールは動くのです。
これは気がバラバラにならずに、陰陽のバランスがとれているからこそできるのです。
少し先走って陰陽のお話もしましたが、このあたりは、陰陽学説のところでもう1度書こうと思います。
気は万物の元なのだということをイメージしてもらえたら、と思います。
さて、では気にはどのような種類があって、どのような作用があるのでしょうか?
次回は、気の種類と作用について書いていきます。
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